悲劇の主人公 東野圭吾の「仮面山荘殺人事件」の中にハッとさせる文章がありました。本編とはあまり関係がないのですが。ー大抵の人間は、苦痛に耐えてまで何かを成し遂げようとはしない。辛い局面に立たされると、まず責任転嫁し、それからヤケになるか無気力になるだけだ。そして悲劇の主人公を気取るのだ。ー思わず目を背けたくなりました。自覚しなくてはならない。私は悔しくて泣く時、私ほど不幸せな人間はいない、あぁ神様、あなただけにしか私の苦しみはわかりません、と悲しみにうちひしがれる。でも本当はその状況に至るまでの自分の行いがそのような気持にさせているのだなあ。悲劇の主人公になることで、自分を守り、肯定してかろうじて立っていられるようになるけど、きっと足場はもろく、すぐ崩れてしまう。ダメージがあった時にちゃんと立っていられるように、無意味に自分に甘く、無理矢理肯定しなくてもいいように、足場をちゃんと作りたい。自分に厳しく。ただ時には自分を許せ。前に進む為に。甘くするということではない。やるまで納得するまでやめるな。今年の目標でもある。 [0回]PR