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無題

今日、弟が小学生の時の恩師が亡くなりました。教師としてこれからという年齢で、早すぎる死でした。彼女はやんちゃで悪さばかりしていた弟に寛大に接してくれた人だったそうです。私もバトミントン部でお世話になりました。ご冥福を心よりお祈りいたします。
 最近身近な人の死が多いような気がします。友人の親、弟の友人・・
養老さんの『死の壁』の表紙の帯に〈人間は死亡率は100%である〉という言葉を見て、当たり前のことを改めて実感し、それを受け入れることの辛さを感じました。自分が死ぬことも怖いけど、自分の大切な人を失うほうがもっと怖いなあ。ジプシーの世界では、人は死んだら最初から存在しなかったものとして扱うそうです。さびしい世界だ。でもそうでもしなきゃ、厳しい生活を乗り越えていけないんだろう。

 先日、ショパンの権威、ヤシンスキの公開講座&公開レッスンに行ってきました。12時から20時までと長丁場でしたが、とても充実した8時間でした。(もちろん休憩もあったよ。)最初は彼の講座でモーツァルトもソナタとショパンのマズルカ。そのあとは東京芸大の4人のレッスン。一番感じたこと、それは彼の出す音は、もはや『音』ではなく『言葉』だということでした。ひとつひとつの音形が、会場の空気に一体となって溶けていきました。鍵盤楽器=打楽器なのに、それを感じさせない滑らかなレガート。減衰していくはずの音が、不思議なことにピアノから一本の糸にひっぱられ続けているように響きを持続させていました。ピアノという楽器は本当にすごい楽器だと思いました。外国人の講習に行くと、必ずと言っていいほど聞く言葉があります。ぺトルシャンスキーや、私の先生も言っています。『主体性を持って』。日本人の演奏はテクニック的に世界の中で優れていると言われますが自己主張が少ないそう。(私はテクニックもだめですが。)私たちは自己主張していない訳じゃないと思います。よく考えているし、よく感じていると思います。しかし彼の言う自己主張は『音』に対する主張ではないでしょうか。表面的にな形を楽しんではいますが、そのひとつの『音』にドラマを感じることです。私たちの人生で、ほんのひとつの出来事が劇的な変化をもたらすことがあります。作曲家は、その出来事を、ひとつの『音』(あるいはフレーズ)にこめている。それに意味を見出し表現すること、それが説得力のある、主張のある演奏に結びついていくのではいかと思います。
『神は細部に宿る』です。


前回かいた、JICAについて。
私みたいな阿呆ではなかなかいけなさそうです。

1次:技術試験:書類審査
2次:「語学試験(英語)」(免除申請者を除く、対象者のみ。)
   「個人面接」(職種によっては、実技試験や作品の提出もあります。)
  「健康診断」(問診・歯科検診)

勉学、人間性、技術、健康、人間として総合的な能力が求められていることがわかります。道は険しそうだぁ。や、やる気が・・・

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