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(no subject)

今日、家のレンジ台を破棄するために市のゴミ処理場に行きました。この前行った時そうだったけど、興奮して興奮してしょうがありませんでした。この子おかしいんじゃあないかと思うくらい。

何に興奮したかって
水色と白の二色の無機質な四角い建物がある敷地内にまず興奮。近未来的で、人間の匂いを感じさせない雰囲気。星新一の世界のよう。

その敷地内に建物3階分の高さもある粗大ゴミ処理場がそびえ建つ。人ひとりもの大きさのレンジ台が、ガラガラガッシャーンと豪快に気持ちいい音をたて、吸い込まれていく。

あの無機質で感情のみえない建物に、巨大なゴミたちが君臨している。


こないだひとりでふらっと行ったピカソとクレー展でみた、彼らと同時代の画家の作品に、これと同じ種類の感動を得た。画家の名前はメモったけど今手元にないからあとで書いとこ。

自分で自分を変わってると思う。でも同じような趣味をしている人は結構いると思うなー
いるだろうか。

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いろいろ

ご無沙汰してます

最近までばたばたと忙しかったから日記の更新をしてませんでした。

去る10月25日は、豊田のセンチュリー室内管弦楽団の方々とモーツァルトのピアコン20番を共演しました。
オケとの共演は3回目でしたが、慣れるってことはぜんぜんありませんでした。ソロの時とは大違い、自分の未熟さがとてもよくわかるんです。本番までに数回あわせをする中で、確固とした自分のリズム、拍子感をもっていないとあれだけ大勢の違う楽器と音楽をするのはとても大変だと感じました。
あわせよう、あわせようとすると、お互いにお見合いになってしまうこともしばしば。一番いいのは、お互いに自由に音楽をしてそれが自然とあって流れていくこと。あわせの中ではいろいろ悩みました。
本番は、800人近くのあたたかいお客様とオケの方々に支えられ、思い切って演奏することができたかなと思います。あわせようとするより、自分の音楽を出すことのほうが大事だと思って弾きました。
弾き終わって、大きな拍手をいただいて、何回も舞台に戻ってこれたのは本当に嬉しかった!(舞台マナーはまだまだだったけど)演奏していて、お客さんや共演者の方々のあたたかさって本当に支えになります。目にみえないんだけど、その音楽の空間を作っているのは弾いている私だけじゃないと感じています。今回はあたたかい空間で弾かせていただけて幸せでした。
本番までお世話になったオーケストラの方々、聴いてくださった方々、チャンスをくださったお友達のご両親に感謝しています。

8月にも一緒にコンサートをしたSちゃんと、先日彼女の母校の中学校で一緒に演奏(伴奏)してきました。
彼女とは、今回2回目でしたが演奏していて本当に楽しい。彼女は9月からヨーロッパに留学している俊英のヴァイオリニストですが、日本に帰ってきたときは必ず一緒にやりたいと言ってくれて嬉しかったです。一緒に演奏していて、楽しい瞬間がいっぱいあるんです。そんな共演者はなかなかいません。また共演できるときまで、私も成長していなきゃ。


先日書いた助成金で、先生がアドヴァイスしてくださりフランスのコンクールを受けることにきめました。
3月なのであまり時間がないので集中して練習しなきゃと思います。
あと、5月22日のアリエッタフレスカというコンサートにでることにもきまりました。高校時代の尊敬する先生から門下卒業生のコンサートへ出ない?とお声をかけていただいたのですが、今回は「就職活動を考えたいと思っていてるからでません」と言ったんです。そしたら「絶対就職なんてやめなさい!!!」といわれてしまいました。確かに、この時期から就職活動スタートなのに3月のコンクールもあるしどうしようと悩んではいたのですが。。大学から助成金までもらって、OLになっちゃったら先生方もがっかりされるわよと・・・でも私は一回は普通の社会に出ないといけない気もするし。本当に悩んでしまいます・・・


 

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買い物

20080919140250.jpg







今日は母と高島屋に買い物にいきましたー秋物、冬物。
気持ちはホクホク、懐はさびしくなりました。(ほっとんど、母が出してくれたけど)
買い物はやっぱ楽しいウィンドウショッピングより楽しいあたりまえ

ランチはタワーズのthe kitchen サルヴァトーレ・クオモで
http://www.towersdining.com/category/c04/salvatore.html
ピッツァがめっちゃくちゃおいしかった!前菜とデザートはブッフェ。

満足満足な一日でした

いまからピアノやらねば。。。

 

 

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ご・は・ん

本日二回目の日記。
暇人。

学校が10月まで休みなので、母に掃除洗濯食事全部やりなさいって言われてます。
今日は掃除はサボったけど。ご飯はちょっと気合いれましたよん。

かぼちゃのグラタン(もう半分以上食べちゃったから写真は撮れません)

材料

かぼちゃ 半分 
たまねぎ 1個  
鶏肉   お好み 
オリーブオイル ちょっと
塩コショウ お好み    
にんにく 一かけ          

ホワイトソース(市販のがあったのに探せなかった、馬鹿)
小麦粉 適量                            
バター 適量                            
牛乳 適量                              
(これは適量と書きましたが、本当に適当やっちゃった)(ネットで調べたらサイトそれぞれでちょっと量がちがうから)

こうやってつくったよ。↓

かぼちゃはあらかじめ電子レンジでチンしとく。平らな耐熱皿にならべてね。
①オリーブオイルでみじん切りにしたにんにくをいためる。弱火で。にんにくこげちゃうから。
②一口大にきった鶏肉を入れていためる。最初強火。
③薄切りにしたたまねぎをいれて中火でいためる。
(きったりするのはもちろん事前にやっておきました)

④そこにホワイトソースを入れる。
⑤ホワイトソースの半分の量の牛乳を入れる。
↑ホワイトソースがみつからなったので、自分でつくることに。

ホワイトソース               
・バターをフライパンで溶かす         
・そこに小麦粉をいれていためる。このときはがんばってだまにならないようにね。             
・粉っぽさがなくなって、マッシュポテトみたいになったら、ガスから離して濡れた布きんの上にフライパンをおく。                                                                                                            
・そこに牛乳を何回かにわけていれる。ゆっくりかき混ぜるんだよ。        
・出来上がり。                                                                     
・じゃなかった、塩コショウとコンソメもいれるんだった。         

⑥出来上がったホワイトソースを先ほどの鶏肉などをいためたフライパンにゆっくり入れる。
感覚で牛乳を足す。
⑦かぼちゃを入れた耐熱皿にそれを流しいれる。
⑧冷凍庫にあったチーズを上に敷き詰める。
⑨オーブンで「グラタン」のボタンで焼く。あとはオーブンにお任せしまーす。

⑨で・き・あ・が・り

あとはベビーリーフとねぎのサラダと、石川のおいしい冷奴。

今日は母から合格いただきました

ホワイトソースに入れたバターの量がちょっと気になるけど・・・

明日もがんばりまーす









 

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岩手に帰省

最近は負のオーラばんばん漂うブログーでしたー
気まぐれなので、もうけろっとしてるえびでござんす。
8月末に岩手にいる祖母に会いに行ってきました。仙台に父が出張だったから仙台からレンタカーで岩手県水沢へ。3時間弱の長距離ドライブ。助手席に座ってたから一睡もできなかったー。夜の高速道路はこわいね。
祖母はケアハウスで暮らしているのですが、そこでピアノ弾いてきました。昭和唱歌や歌謡曲。76efcd3d.JPG
喜んでもらえてよかった!ずっとケアハウスで祖母と話したり、次の日は盛岡に住んでいる大叔母に会いにいったり、観光はまったくしなかったけど、なんたって岩手にいくのはウン年ぶりだったから密に祖母と話せたのはよかったかな。話したというより、話を聴いていたといったほうがいい


大叔母の家では、曽祖父の写真をみた。父や弟にそっくりだった。遺伝ってすごいわ。亡くなった祖父の幼いころの写真も見せてもらったんだけど抱きしめたくなるほど可愛かった(えっ)。
大叔母の家に残されている写真は戦前の家族、親戚の集合写真が多かった。それを見た瞬間、その時のにおいとか、人の物越しとか、しゃべり声とかが、私の顔や体にうわっと押し寄せてきた。でも、同時にそれはとっても遠いってことも実感したんだ。この写真が撮られてからひとつの人生と同じくらいの時が過ぎてしまったなんて、ちょっと信じられない。写真のなかでは時がとまったまま。
着物の袖に腕を隠して威厳たっぷりにたっているひと(だれかわからない)、華奢な身体に着物姿できっとカメラをにらんでいる女の子、幼い頭に学生帽をかぶっている祖父、着物をしゃきっと着こなし幼い大叔母を両手に抱いている曾祖母・・・・この写真に写っている中で現在生きているのは大叔母だけだそうだ。この人たちが生きていた時代があったのだと思うと、なんかせつなく、苦しくなった。写真から感じたその時代の空気が引き潮みたいになくなってからは、無の世界が広がっていった。

岩手は暮らした町ではないけど、行ったらやっぱり懐かしいと感じる。
高速道路から見える風景は知多市とはぜんぜん違うけど。

帰る日は、水沢から盛岡まで往復2時間、その後水沢から仙台まで3時間弱、(ここまでくるま)、仙台から飛行機で1時間と、一日のほとんど乗り物に乗って、まいったまいった。
でもいい旅だったな。

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